『夏と花火と私の死体』 【読後感想】
2008年11月13日 (木) | 編集 |
【2008−05−14】

注:完全ネタバレ系


私の誕生日と一日違いの誕生日である、乙一氏のデビュー作、『夏と花火と私の死体』
どんな談話や、論評、作品論、人物評にも出てくることだが、乙一氏がこの作品を16歳で書き上げた、という事は、本当に驚きである。
しかしながら、16歳だからこそ書き上げることが出来た作品ではないだろうか、とも私は思う。

語り手であり、殺されてしまう主人公の少女。
幼い女の子に有りがちな純粋な恋慕の事情故に、主人公は友達に殺されてしまう。
過失に近い感じじゃないかな、と思える死。
殺してしまった女の子と、その兄は、必死に「私の死体」を大人たちの目から隠し続ける。

隠していく兄弟と共にする私の死体は、それらの出来事を、淡々と語っていく。

その妙。

時々「私の死体」は殺されてしまったが故に一人になった寂しさを醸し出す。
それは本当に寂しそうで、胸がくっと絞まる。

殺されてしまった恨み辛みを語るわけでもなく、自らの死体の行方と、その死体と行動を共にする罪人たちを、寂しそうに見続ける主人公「私の死体」。

「死人に口無し」の絶対を覆しているのに、違和感の無さは、正に筆の妙、乙一氏の才能以外の何者でもないのでしょう。

罪の意識に苛まれながら兄と共に死体を隠す殺人者の女の子。
死体を隠していく事をまるでゲームを楽しむかのような、殺人者の兄。
そして、ショタコンの連続殺人犯。

残酷な結末。
犯罪者は罰せられるべき、と現実社会であろうが、小説の中であろうが、
そう思い続けている私には、無邪気すぎる「私の死体」だからこそ、より残酷さに拍車をかけた感じです。

同冊収録作品,『優子』も、無邪気な殺人者を描いています。
純粋な情愛を描ききっていると言っても過言ではない作品でしょう。

「人ではないと思い込んでいる人を殺してしまう」「人を殺したという意識の無い殺人」
果たしてこれは罪なのか否か。
罰することの出来ない人の心と、罰せられるべき現実に起きた出来事。

世間でよく問われる「責任能力の有無」って、ナンだろう、と、いつも思います。
「責任能力」が無かったら、人を殺めても‘仕方の無い’事なんでしょうか。


余談ですが・・・
乙一氏の奥さんのお父さんの手がける作品も、私は好きですよっと。

こちらからどうぞ
  ↓


<関連サイト>
集英社乙一公式サイト
乙一FAN!(公認ファンサイト)
「Mystery Library」より 乙一作品紹介
テーマ:読書
ジャンル:小説・文学
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